日本人の「庭」観(江戸編2) ■土地みたて

2023/06/0318:07272人が見ました

 

日本人の「庭」観(江戸編 からつづく

 

世界の「BONSAI」の原点

 

おじさまの趣味の代表であった「盆栽」は、現在では「BONSAI」となって世界に輸出されるようになっています。

 

その基ともいえる園芸文化はそのむかし中国から伝わったといわれ、江戸時代に爆発的な発展を遂げました。家康に始まり、花好みの統領によって治められた江戸の武家社会では、園芸は武家のたしなみともいえるものでした。そうした上流社会の遊びを、江戸っ子は黙って見てはいませんでした。

 

江戸時代も後半になると経済的に力をつけた町人や長屋に住む庶民もの中でも、路地に草花が植えられたり小さな鉢植えが並べられる光景が、日常的なものになっていきました。平和な時代が長く続いたからです。

 

この時代に「室(むろ)」と呼ばれる温室が考案され、亜熱帯植物の栽培や季節を先取りする促成栽培がなされるようになりました。このことは、鉢植えだからこそ可能になった技術革新でした。

 

様々な形で園芸が社会の隅々までに拡がると、やがては花見や品評会が欠かせない娯楽になり、小さいながらも品種の珍しさや形状の美しさ、植木鉢との組合せの妙味を芸術的に競うようになっていきました。この時代には植木鉢としての焼き物の技術の発展もあったそうです。

 

現在、遺跡から出土する植木鉢は大きく2つに分けられるそうです。鉢などの容器の底に穴をあけて植木鉢として使用した転用植木鉢と、最初から植木鉢としての利用を目的に生産された専用品の植木鉢です。

 

転用植木鉢は江戸時代中期の18世紀初め頃から現れ、その後18世紀中頃以降になると専用品の植木鉢が普及していきました。庶民の園芸への関心が高まり、転用品では間に合わないほど需要が増えたため、商品としての専用植木鉢が作られるようになっていったようです。

 

 

↑いまや世界に愛好家が拡がる「BONSAI

 

↑江戸時代の園芸書にある鉢植図(鉢と植えるものとの調和が意識されています)

 

↑東南アジアの鉢植えショップの様子(なぜか江戸時代の雰囲気がプンプンです)

 

 

 

「江戸」の風情がのこる街

 

東京は世界的に見ても非常に大きな都市ですが、空襲や震災の影響もあって庶民的な歴史的建造物は乏しい印象があります。しかし、注意深く見てみると、長い時を経てもなお昔の佇まいを残す場所はあるようです。

 

 

■私道の原風景編

 

最近では渋谷などは電車に乗る度に乗り換えの際のルートが変わっていて「ループもの※の映画」のようです。でも、少しばかり歩いて移動してみると、普通に住宅があったり昔っぽい風景に出会うこともあります。特に「お上」の手が入っていない私道にその片鱗が見られます。

 

※「ループもの」とは、作中で何らかの原因により『時間の巻き戻り』または『以前体験したのと似た世界へのワープが発生、同じ出来事が繰り返されてしまったり特定のキャラクターが自らそれを繰り返す(ループする)』様を描いた作品のこと。

 

↑都内23区内の私道には意外とこういった場所が残されています

 

↑江戸のはずれの道はこんな感じだったのかもしれません

 

 

■江戸的模擬風景編

 

渋谷区や港区で食事する際に半屋外のお店をよく利用します。多くは再開発待ちの期間限定ポップアップショップだったりしますが、このような外の空気や地面と繋がったスペースなら都心にいながらも江戸の町人になったような気分になれます。

 

↑都内の半屋外の飲食店では江戸の頃のようなしつらえも見られます

 

↑舗装したスペースでの仮設的な店舗でも鉢植えが並びます

 

 

■冬のケヤキ並木編

 

ケヤキは空へ向かって扇型に広がり、新緑、紅葉のみならず箒状の樹形があらわになる冬季の佇まいも美しく、下枝(横枝)が少ないため、人が集う場所に木陰を作る木として使われています。秋にはオレンジから黄色に淡く色づいた葉っぱが美しいです。関東近郊に立派なケヤキが多いのは、徳川幕府がその植栽を奨励したことにちなむようです。江戸時代には材料としても橋げたや船などに使われ、その後も立派なケヤキのある家は格式が高いとされてきました。  

 

 

↑紅葉が始まる頃の表参道のケヤキ

 

↑葉っぱが散りだすと踏みしめて歩きます

 

↑しだいに風で飛ばない場所に溜まっていきます

 

↑集合住宅の管理人さんは大変な時期です

 

 

■ド根性街路樹編

 

いつも通る駅前の通りに木が生えています。いつも電車の時間を見ながら急いで歩くので、視野に入ってくるその木は「街路樹」だと思っていました。すっかり酔っ払って帰ったある夜、その認識は間違っていたことに気がつきました。おもわず二度見してしまいました。

 

↑なにげに普通に街路樹のようですが。。。

 

↑20cmぐらいの隙間に立っています!

 

 

■江戸の風情編

 

子供の頃は大阪市内で育ちました。大きな公園は少なく、遊び場は道路か神社か空き地・埋立地でした。もう半世紀も前のことですが、その頃に確か見たような場所が東京には点々と残っています。

 

↑スペースは無くても緑はあります

 

↑23区にも虫取りできそうなこんな庭が意外とあるのです

 

 

↑「素敵な言葉」の看板を見かけました

 

 

■わびさび編

 

ここでは「極め付き」の登場です。日本的な「簡素」と「空白」を携えた価値観を感じた「庭」の紹介です。こういうのを見ていると「日本の住宅、がんばらないと!あきらめるな!」と思ってしまうのです。

 

↑これだけでお正月のあらたまった雰囲気になります

 

↑家の中にある建具の中を「庭」にしてしまう感性がすごいです

 

↑上から下がってくる「庭」も美しいです

 

この土間に至っては「究極の庭」といえます

 

 

地方に住んでいますと、ついつい敷地スペースを持て余してしまうこともあります。しかし、土地が高く、狭いからこそ大切にされている「庭」もあります。せっかく日本に住んでいるのだから「工夫の精神」と「四季のもたらす居心地」は味わい続けたいものです。

 

 


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