【連載第4回】『物語』としての工務店を生きる。「競争」から「共走」の世界へ <企業哲学③>

2020/10/3012:041244人が見ました

工務店Livearth(リヴアース)代表の大橋利紀です。前回も、我々地域工務店が「スモールエクセレント工務店」を目指すために必要な、企業哲学の考え方について説明しました。大まかに説明すると、近年では世の中が「生理的欲求」と「安全欲求」がある程度満たされてしまった状況にあり、そのため市場は解決すべき「3つ目の課題」に向かっているということ。工務店の企業哲学も、それに基づく必要があるということ。その「3つ目の課題」に対して、弊社では「文化的な価値」と「情感的な価値」の2つの価値で解決すると定義して、そのためには各工務店が提供する住宅における文化的な背景や、「独自の物語」が重要であり、それが哲学であり、ブランドになっていく。そのような内容でした。

今回は、なぜこのような企業哲学の考え方が必要なのか?ということを補完するために、また少し異なる視点から、掘り下げてみたいと思います。

→【プロローグ】スモールエクセレント工務店とは?

→【第2回】ブランドとは「個人の主観」からくる哲学である〈企業哲学①〉

【第3回】文明化の終焉と住宅産業〈企業哲学②〉

 

経済的価値と意味的価値

 まず根本的な基準として、住宅にも「経済的な価値」があります。「経済的な価値」とは、定量的に均衡点をみつけ、効率を求めるもので、「コスト&パフォーマンス」で比較することが可能なものですが、この価値観の中で競争すると疲弊してしまうことは、誰しも経験として感じていることだと思います。

 その一方で、すべてのものには、前回説明した「文化的価値」「情感的価値」などをまとめて構成される「意味的価値」があります。

 この意味的価値が深まれば、全く異なる世界へと向かいます。意味的な価値とは、心が動く感覚的なものでありこの価値こそ、人が豊かに暮らし生きていける大きなきっかけとなる本質的な価値になります。私は住まいは、この価値を持つことが出来ると信じています。また、本質的な価値を求めていけば、経済的な価値は自ずとついてきます。

 

 意味的価値の変容

コロナパンデミックを経験し、人々の意識が大きく変わりつつあるように感じます。服で言えば、人に見せるための「ブランド品を身に着けること」から、「多元的な意味で、自らが心地よいこと」への変化は顕著でしょう。ユニクロの時価総額がZARAに次いで世界2位であることも、それを物語っているかもしません。

「他者からどう見られるか?」ではなく、「自らが心地よい」ということがより重要になっているということです。「自らが心地よい」とは、「意味的価値の共感」と「身体的な安らぎ」です。「意味的価値」とは、この場合「機能的価値」(=客観的な価値基準がある)とは対義の関係で、後で述べる「物語」とも大きな関係があるワードです。

 

「モノの価値」は低下し、「意味の価値」は向上している

あらゆる「モノ」が不足していたかつての世界では、特権階級だけが実現出来る豊かな暮らしがありました。その頃はモノがあることが豊かな暮らしの印であり、価値判断の一つでした。高度成長期を経て私たちは、多くの労力と資源を消費して、モノが豊かにある暮らしを実現することが出来ました。

しかし、必ずしも「モノが豊かにある=豊かな暮らし」ではないことに気づかされてしまいました。また、「モノを買い消費すること」と「環境に負荷を加えること」がイコールの関係であり、常にトレードオフしているということです。これにも多くの人が気づき、「大量生産大量消費」を前提とした経済成長モデルに疑問を持つ人も少なくありません。

モノとは、そのもの自体に価値があるわけではありません。そのモノが持つ背景や作り手のこだわり、コンセプトが作り出す「モノがもつ物語」に価値があるということです。

 

『大きな物語』と『小さな物語』

「物語」とは、ある一定の条件を満たしたモノやブランド、作品が纏(まと)うことのできるもので、共感し参加する人たちが多くなると、やがて社会やコミュニティを形成します。

 広い地域、多くの人々に影響を与える「大きな物語」には、社会を駆動させるエネルギーがあります。欧米型の消費資本主義・中国を代表する国家資本主義、イスラム教社会主義などがそれにあたります。

 場所や地域、思考など、ある限定された人々が強く共感し参加するものは、「小さな物語」と定義できます。古来よりある文化で言えば、禅、茶道、華道などになります。企業の目指すモノに当てはめれば、アップル、PatagoniaMUJI、ユニクロ、ZARAなどのグローバル企業から、地酒のメーカー、こだわりの小料理屋など、ローカルなものまで様々となります。

 この「小さな物語」は個人の思想に由来するものまでにわたり、工芸・文学・手芸・テキスタイル・服飾などの作家さん、建築家、写真家などとなります。工務店が目指すものとしては、この2つ目の内容となるでしょう。

 当然ですが、ここでいう「物語」は、ファンタジーやフィクションではなく現実社会で形成されるものを意味しています。

 

工務店にとっての物語

 さてここからより具体的な内容に入ります。この「物語」(小さな物語)を直接的に、言葉のみで説明することは少し難しいですが、ポイントをいくつか記載してみます。

 

   何かを成す時の「理由」の部分に宿るもので、住宅で言えば、素材・色・耐震・温熱・使用する要素技術・設備・維持管理・間取り・空間・価格などになり、その一つ一つを選定した「理由」の部分に宿るものです。

    完成した建物全体が醸し出す、オーラの様なもので、言葉だけでは表現できないものになります。

   要素分解していくと見えなくなるもので、部分ではなく全体に宿るものです。

    理念や哲学の元、繰り返し反復し、継続することで、「物語」が形成されます。逆に、毎回違うことをやっている場合には、「物語」は形成されにくいことになります。

 もうお気づきでしょうが、「物語」を形成することが出来れば、存在意義や他社との価値の違いを生み、やがて独自のブラントを形成することにもなります。

 

物語の語り手

「物語」を直接的に、お客様に伝える職種は、「営業」と「設計」になります。重要なのは、「お客様に伝わるか?」と「お客様の心を動かすか?」にあります。

同じ物語を語っても、伝わったり伝わらなかったりと語り手によって結果が大きく異なるのは事実です。この場合、うまく話すというスキルだけでは片手落ちです。自分の心が動いていないのに、他の人の心を動かすことはできないものです。語り手が本気で物語を信じているかどうか、まずはその部分がないと相手の心を動かすことは難しいと思います。

物語がお客様にしっかりと伝わり、心を動かすことが出来た場合、「真似できない(しにくい)部分での価値付け」が出来たことになります。この場合、多少の価格差などは些細なこととなります。

これを(すべての社員が)どうやっていくのかについては、次回以降紹介していきます。

 

いくつもの物語が共存する社会へ

工務店のそれぞれが、確固たる「物語」を持つことが出来れば、そこには多種多様の「物語」が存在することが出来、お互いが共存する世界が広がります。物語は、文化的で情緒的な内容です。「良いか悪いか?」ではなく、「共感できるか出来ないか?」、「好きか嫌いか?」の世界です。こうでなくてはいけない、という世界ではなく、多様な価値観を受入れ、共感を持ち、協和のある世界が広がる可能性を秘めています。

これが「競争」から「共走」の社会へ向かうために必要なことであり、そのため小さな工務店にとってはこの価値観を目指すための企業哲学こそが求められるのではないでしょうか。

次回は、弊社で社員が物語を伝えられるよう、どのように仕組化を進めているのかについて、お伝えしていきたいと思います。

 

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