忙しい「春の庭」
例年、自宅の庭には春になるとタケノコが生えてきます。50坪少しの敷地ですが、敷地が隣に攻めていかない条件なので新築時に竹を植えたのです。最初に植えたのはもうとっくに枯れてしまっていますが、その「子孫」がその時々で場所を変えながら違った景色をつくってくれています。
今年も3本ほど出てきましたが、そのひとつがデッキと竹垣の隙間から顔を出してきました。わりとしっかりした太さでした。そのままだとまっすぐに育たないので、ヘルプすることにしました。スペースに余裕を持たせようと、タケノコを圧迫しているデッキの端っこの板を外してみたのです。
↑デッキと竹垣の隙間からタケノコが出てきました
ここのデッキ板は、新築時の材料そのままですからもう20年目です。雨で濡れた後は乾きにくい場所なので、もうボロボロです。ビスを抜いていくと、もう手で取れるのもありました。全てのビスを抜いてデッキ板を外してみると、スカスカなのに重い。水をたっぷりと含んでいるようです。
そして、よく見てみると何かうごめくものが。おおー。シロアリでした。
↑【閲覧注意】窮屈そうなので端っこのデッキ板を外してみるとシロアリが!
あわてて、点検用スペースのデッキ板を外して建物の基礎まわりをチェック。建物への蟻道※1はできていないようでした。ここからは手に負えないので、シロアリ防除の「専門家」に連絡して対処してもらうことにしました。
※1蟻道は「ギドウ」と読み、主にシロアリが移動するためのトンネル状の道のことです。外見は茶色い土でできたの細い管のように見えます。
↑点検用スペースのデッキ板を外したところ
↑建物の基礎まわりを目視でチェック(蟻道はないようです)
↑【閲覧注意】点検用スペースのデッキ板の下にも、いらっしゃいました(汗)
「専門家」はすぐに駆けつけてくれることに。久しぶりに「専門家」をお迎えすることになったので、あちらこちらボウボウになっていた庭木の剪定や落葉の掃除に取りかかりました。すると、バタバタと羽音がするので見上げると「キジバト」の親子がクスノキに来ていました。何か口移しでエサ※2をもらっているようです。
※2ハトのエサ キジバトなどハト類は親が体内でピジョンミルク(別称、クロップミルク)という栄養液(素嚢乳)を体内で分泌しヒナに与えることができ、一年中繁殖が可能と言われます。ヒナが生まれると親鳥はピジョンミルクに種子や未消化物など固形物が混入するのを避けるため、自らの採餌をやめるのだそうです。ピジョンミルクは哺乳類の母乳よりも脂肪分とたんぱく質の割合が非常に高く高栄養価で、繁殖中のメスだけでなくオスも作って与えることができるそうです。
↑庭のお掃除をしているとキジバト親子が(エサやりの一部始終。ちょっと長いです)
その後、気にして見ていると1日に何回かクスノキに来て、雛鳥(といっても大きいですが)ピジョンミルクをもらっているようでした。お母さん(お父さんかもしれません)との待ち合わせ場所になっているようです。クスノキの中が、適度に目隠しになっていて具合がいいのでしょうね。
↑親鳥を待つ雛鳥たち(どうやら、ご飯の受け渡し場所に指定されているようです)
キジバトをネットで調べていたら「愛鳥的」な記事ばかりではなく「被害」や「駆除」といった内容も多いようです。【「動物の愛護及び管理に関する法律(動物愛護管理法)」「鳥獣の保護及び狩猟の適正化に関する法律(鳥獣保護法)」により、無許可で鳩の卵や鳩そのものに危害を加えることは法律上禁止されています】と断っておきつつも、「敵対的」な記事がたくさん出てきます。
鳩はスピリチュアル的に見ると神さまに近い存在とされてきた鳥ですが、人が住まう環境によって可愛がられたり、忌み嫌われたりするようです。自宅では歓迎していますが、都会の集合住宅ではやむを得ないのかもしれません。
思い出される「五感の記憶」
自宅は、低気密で窓が大きな家です。また、年中ソーラーシステムによって大量の空気が入れ替わりますので、室内の空気がよどむ感じはありません。そして、そのことによって屋外の気配やにおいが感じられます。(性能的にはいまいちですが)
子供の頃は季節を問わず一日じゅう屋外で遊んでいましたので、外の空気とともに記憶している原体験とも言うべき「感覚」があります。例えば、これからの季節でしたら「雨音」「雨のにおい」「花のかおり」「土のにおい」「山の中の香り」「まぶしい陽光」「素足の感触」などでしょうか。
外の「光」や「音」や「におい」で窓を開けたり閉めたり、誘われて出かけて行ったりする。外の空気が感じられる家にいると、そういった原体験に通じるものを季節ごとに感じます。それほど「田舎」ではなく、それほど広い「土地」でもない現実的な立地で、自然を感じながら生活できるということは「趣味のいい贅沢」だと思います。
↑もうじき「雨音」と「雨のにおい」の季節になります
20年後に感じる経営者の「気概」
鹿児島の今の自宅に暮らして20年目になります。シロアリのいたデッキはもうボロボロですが「生活の質感」は確実に完成時点を大きく上回っています。シンケンにいた頃、社長がいつもみんなに語りかけていた住まいの「理想」や「価値観」が、ようやく姿を現してきたように感じます。建物の配置や窓、庭の木の種類や位置の「必然性」がはっきりと分かるからです。
建ってから20年越しで完成していく「住まい」など気の長いことのようですが、住んでいる身としては「あっと言う間」であり「光陰矢の如し」です。また、永く在る前提で経営される企業においては20年など「わずかな時間」であり、手がけた建物が本来の価値を放つ時期を迎えてこそ、そこからは会社の更なる発展が待っていると考えるべきでしょう。
営業マン時代、土地の取得や家の完成をついつい急いでしまうお施主様共々、社長からはよく「つくるのは一時、住むのは一生」といさめられたものです。「まぁまぁ。そう急ぎなさんな。本質を目指しましょう」といった意味を込めてです。長い時間をかけ、本物の「価値」の創造に取り組む経営者としての「気概」は決して忘れたくないものです。
↑可能な限り「移ろわない要素」に忠実でありたいものです
社長の会社では、20年後の生活価値を念頭にものづくりをされていますか?また、手がけた住まいの20年後から学ぶ仕組みが確立されていますか?
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