経営を圧迫する急激な職人不足と販促費の増加。仕事をつくるための販促費の捻出のために、職人の賃金を抑え、結果として、仕事が取れても仕事をする職人がいなくなるという悪循環にはまる。すみれ建築工房(兵庫県神戸市)の高橋剛志社長は、販促費にかかる経費を職人のために回すことで、経営意識の高い職人を強みとしたインバウンド・マーケティングを実践し、業界の抱える悪循環の克服に取り組んでいる。その極意を全12回の連載で伝えていただく。第2回となる今回は高橋社長による工務店のためのマーケティングの再定義の背景をお伝えいただく。(編集部)
前回に続き
神戸と台湾で工務店、設計事務所、そして東北、関東、関西、九州と全国で『職人起業塾』なる建築実務者向けの研修事業を行っております高橋剛志と申します。初回では、職人が出自である私の自己紹介と、職人不足に陥る原因を肌で感じて来た私の経験からこれから訪れる圧倒的な職人不足の脅威、そしてその解決策は職人の生活の安定、未来への不安の解消を支える持続的に稼げるシクミ(マーケティング)の構築にあると書かせて頂きました。今回からはそのマーケティングについて私が提唱し、私塾「職人起業塾」で参加企業に実践して頂いている具体的な例を基にその詳細を示しながら書き進めたいと思います。
マーケティングの定義を再考する
10年程前までは建築業界においてはあまりなじみが無かった『マーケティング』という言葉ですが最近は非常に頻繁に目や耳にする様になりました。しかし、よく使われ過ぎてその定義が分かりにくくなっているという印象も少なからずあろうかと思います。はじめにそのあたりを少し整理してから具体的な内容へと筆を進めたいと思います。
まず、日本マーケティング協会の定義を引用すると、
マーケティング定義
マーケティングとは、企業および他の組織がグローバルな視野に立ち、顧客との相互理解を得ながら、公正な競争を通じて行う市場創造のための総合的活動である。
日本マーケティング協会 1990年
乱暴ですがこの要点だけ簡潔にまとめてしまうと、マーケティングの定義=『市場創造のための総合的活動』となり、やもすると事業全体の全てとなってしまいます。この定義からすると広告宣伝等の集客ノウハウから市場調査、クロージングのやり方まで何にでもマーケティングと名前を付けてしまう最近の風潮も致し方無いのですが、これではぼんやりし過ぎて具体的な方向性が全く見えてきません。私の様に若干の違和感を感じられる読者の方も少なく無いかと思います。実際、この広範に渡る定義ではマーケティングを構築しようと思っても何から手を付けていいのか分からなくなるのではないでしょうか。
私は、十数年前から書籍や勉強会、セミナー等に参加してマーケティングを学び続ける中で、自分の中でマーケティングの再定義を行なって方向性を見いだそうと試みました。その中で、「これや!」と思ったのはピーター・F・ドラッカー博士の「マーケティングの究極の目標は、セリング(売り込み)を不要にすることだ」という定義です。
要するに、一切の販促、反響営業をやめても自然とお客様がやって来て、売上げ、利益が上がるシクミづくりこそがマーケティングの構築だと明快に理解が出来たのです。
もうひとつ、ドラッカー博士がその著書『マネジメント』の中に書かれている「事業の目的は顧客の創造である」という有名な言葉がその方向性を固めてくれました。ドラッカー博士の言葉の解釈は様々だと思いますが、顧客の創造という意味を考えたとき、私の中では「生涯顧客の創造」こそ、事業の目的と言っても過言ではないと素直に思えたのです。
マーケティングとはセールスの対局にあり、それを構築するには、売り込まずに相手から買いに来てもらうシステムが必要。一見、難しそうに感じますが、その相手(顧客)が固い信頼関係を結んだ生涯顧客であればこの理論は簡単に成立する訳で、「これから一生、建築にまつわる一切を親族や友人も含めて全てあなたにお願いするわ」と言ってくれる顧客の数が増える程、将来の売上げが見込める様になると考えればそんなに難しくありません。私はこれこそがマーケティングの構築となるのだと考え独自の定義を行ないました。
インバウンド・マーケティングへの取り組み
もうひとつ考えたのは私達が取り組むべきマーケティング戦略はこれからの時代に合ったものでなければならないという事です。その理論はブライアン・ハリガンとダーメッシュ・シャア共著の『インバウンド マーケティング』に詳しいのですが、重要な事はこれまでとは圧倒的に違う、劇的な変化を見せ始めた情報化革命の波に呑み込まれない様にすることだと考えました。
インバウンドとは、外国からの観光客を指してよく使われますが、ここでは事業所の持つ内面の価値を磨き、情報として見つけてもらう事を意味しています。
対するアウトバウンドとは、マス媒体を使った宣伝広告やテレアポ、訪問営業等で、無理矢理もしくは無差別に人の目に触れようとしますが、実はそれらの手法は消費者への強制介入に他なりません。情報化社会の本格化と共にあらゆる情報が白日の下に晒される「本物の時代」の到来を考えればそれらは徐々に陳腐化するのは想像に難く無いと思います。
自社の持つ価値『情報』を消費者に見つけられる、もしくは口コミで拡散されることにより信頼関係の構築が容易な集客を目指すのがインバウンド・マーケティングであり、時代の波に逆らう事無く、本質に立ち返る意味も含まれています。
国立競技場のロゴ盗作問題しかり、日本を代表する大企業の相次ぐ不祥事しかり、近年では企業の不正、不誠実な姿勢があっという間に全て白日の下に晒されます。インターネットによる情報化革命はスマートフォンの普及により加速し、その情報の伝達、そして発信の容易さが爆発的に変わりました。もはやこれを正ととるか負ととるかと議論する余地はなく、自分達の拡散されて困る様な行動は排除し、見つけてもらい価値を感じてもらう取り組みを進めるしか道はありません。そして、積極的に情報発信をする事で、価値観の近い顧客と繋がるツールとして活用するしかないと思うのです。まさに、小手先の誤魔化しは通用せず、偽物は排除される本物の時代の到来です。
経営者と従業員の意識の違い
マーケティングの定義が定まり、方向性が決まれば、後は実務に落とし込む方法論を考えて行動に移すだけ。非常にシンプルです。要するに、ご縁を頂いたお客様に、「一生あんたの会社にお願いするわ」と言って頂く様にすれば良いだけです。
18年前、私が起業した際は、自分で大工職人として現場で作業を行いながら、お客様の窓口を務め、見積りからプラン、事務作業まで全てを行ない、モチロン、アフターフォローもメンテナンスも自分自身で行なっておりました。その頃のお客様は、20年近くなった今も何かと私のケータイ電話に直接電話をかけて下さいますし、一生のお付き合いをさせて頂いていると感じています。
しかし、社員が増えていき、徐々に現場を社員に任せ、設計や見積り、顧客対応までの実務の全般を全て専門のスタッフに移譲しはじめた頃から、果たして創業時と変わらない顧客との関係性を保てているか?と、非常に不安に思えて来ました。それは社員のスキル云々の話だけではなく、経営者の私が責任を持って顧客に向き合うのと、そうではない担当者が対応するのでは絶対に同じ判断になる訳がないと思ったのです。
その部分の不安要素を排除出来なければ、生涯顧客の創造もマーケティングの構築もままならないと気付いたのですが、この問題を解決するには社員の意識を根本から変えなければならず、非常に根が深く、難しい問題だという事も同時に認識しました。
理論と実践の壁
理論では簡単に思えても実際に実践して成果を上げるのはそんなに容易ではありません。事業に理論通りの行動を落とし込むこと、そして計画通りに進めるための問題解決の繰り返しこそがマーケティングの構築に他ならないと気付き、根本的な問題解決に取り組み始めたのが10年前です。その入口は、とにかく顧客からの絶対の信頼を得ること。まず始めに取り組むべきは現場品質と現場でのコミュニケーションの向上だと考えました。それが外注扱いだった大工の正規雇用であり、社員大工に対する教育です。先ずはモノづくり企業として信頼されるに値する根本を正すべきなのです。
前回、職人不足の元凶にもなっている将来の売上げ、利益が見えにくい工務店のビジネスモデルの問題を解決するためには、『状態目標の設定、管理の経営』だと書きました。生涯顧客の創造には、結果と評価が求められます。その結果とは、良いデザインでもなく、コストを抑えた見積りでもなく、感動的なお引き渡し式でのお客様からの感謝の言葉ではありません。新居に住み始めた後の生活の中で、全く不具合を感じない、もし問題があっても真摯に対処をしてくれるといった、5 年、10年と続く生活者としての評価がその全てです。引き渡し時に隠していた瑕疵が後で発覚したり、アフターメンテナンスを依頼してもおざなりな対応だったりすると、それまで多くの人が関わり、積み重ねて来た信頼は一瞬にして水泡に帰してしまいます。根本的な解決は実際に手を下す大工の意識改革を避けて通れず、職人が安定して働ける環境を整えた上で意識改革の教育を行わなければと考えました。
信頼を得続ける状態を管理する
モチロン、顧客から選ばれる為にはデザイン力や資金計画をサポートするコンサルティング能力、価格の優位性や商品力、地域密着の企業としての世界観や提案力といった工務店としての強みも必要です。しかし、それらばかりに執着していては、本当の意味での生涯顧客の創造は叶いません。集客からクロージングまでのプロセスだけを重視していては、いつまで経っても狩猟民族の様に常に新たな顧客を捜し続けなければならないスパイラルに陥ってしまいます。
あくまでも工務店の本質はモノづくりであり、物売りでは無いはずです。その本質を考えたとき、最大の顧客接点であり、顧客にお渡しする商品そのものを作る大工が顧客に「一生あんたにお願いするね」と言われる『状態』を整えなければせっかくの集客もストックとならず、一時的なものになってしまい、未来の売上げが見えて来る事は無いのです。
このリスクを回避するにはどうすればいいか?と考えたとき、私が見出した答えは、創業時の自分自身の経験でした。起業したての大した強みもない単なる大工だった私が顧客に重宝がられ、受注を重ね、信頼を得て来れた源泉は、そんな自分に仕事を依頼してくれた顧客に感謝して、一生懸命に働く事だけでした。モチロン、期待を絶対に裏切らないという誠実さがそのベースにあったのは言うまでもありません。
任天堂の故・岩田聡社長の語録に「自分のコピーがあと3 人いればいいのにって思ったことがあるんです。でも、いま振り返ると、なんて傲慢で、なんて狭い視野の発想だったんだろうと思うんですよ」という談話がありましたが、私の場合は傲慢でもなんでもなく、実際のモノづくりをして、顧客との現場接点となる大工が経営者と同じ感覚を持っていなければ生涯顧客を作る事は出来ないと気付いただけです。そして、そのためには決して会社として(社員の)行動を管理してコントロール出来るものではなく、「状態」を作り出すしかないと思ったのです。
マーケティング戦略の担い手は絶対に顧客接点を持つ実務者であるべきで、現場でその効果を発揮して結果と評価を生み出してもらわなければなりません。その状態を整える事こそ、インバウンド・マーケティング構築の基礎を固める事になるのです。
本物の時代の到来へ向けて
本物の時代の到来への対応として、弊社ではブログによる情報発信を以前から活発に行なってきました。私と設計スタッフはこの夏を越すと毎日のブログ更新が12年目に突入します。
『読むに値するものを書くか、書くに値する事を行ないなさい』と言ったのは ベンジャミン・フランクリンですが、10年近く毎日ブログによる情報発信を継続してみると、自分達の価値について考え、行動する量が確実に増えて、行動自体を変える意識につながり自社の価値を高める事が出来たのではないかと思っています。
毎日更新しているブログ
第2回のチェックポイント
なぜ「状態」が一番重要なのかを理解できましたか?
ヒント ●状態管理すべき会社の資本とは何か?
●マーケティング戦略の担い手は?
状態管理はすべての問題解決の鍵!!
次回は、顧客接点である大工を始めとする実務者に経営者と同じ判断が出来る様にする為に私達が取り組んで来た事例を元に、マーケティング構築の基礎を載せる地盤を整える『状態管理』についてです。足元から順番に理論構築を積重ねる事によって持続、継続性の高いビジネスモデルを作り上げる原理原則に則った状態管理のパラダイムをお伝えしたいと思います。