メンテナンスに耐える家をつくろう。

2018/11/3016:469人が見ました

自分たちの建てる家が数十年後にどうなっているか、それを考慮したうえで材料を選び、技術をレベルアップさせることも工務店の役割です。売り逃げは絶対にいけません。

 

モダンデザイン住宅だって経年変化する

 私の知る限り、「住宅はクレーム産業」と言った経営者の会社は一社も残っていません。そういう認識の会社はつまり、早い時期にクレームが発生する住宅をつくっていたからでしょう。それは論外として、長持ちする家をつくろうというしっかりした志はあっても、高性能住宅と同様にモダンデザインの住宅も危険をはらんでいます。

 モダンデザイン住宅が年数を経てどう変化するのか、まだ誰も見たことがありません。発祥地の欧米でさえ数十年、日本の歴史はもっと短く、風土も異なります。だからこそプロであるつくり手が想像しなければならないのですが、その努力をせずに新しいデザインを古い技術のままでやってしまっている。それは危険だと思うのです。

 

デザインと技術はセットで考えるべき

 気密・断熱の概念がなく、開口部を広く、軒庇をたっぷりとった日本の伝統的デザインなら、伝統的な技術で問題ありません。しかし今求められているモダンデザインには、それに適したもう1段階レベルの高い工法が必要です。それが一向に変わらないことに違和感を感じています。

 この違和感は私が工務店を立ち上げた当初からあり、金具・建材をできる限りオリジナル化できないか模索し、工夫を重ねてきました。

 連日35℃を超える夏の盛りに、香川県内で崖の上に建つ家を見かけました。西側全面が庇のない掃き出し窓になっているため眺望は素晴らしいでしょうが、夏場の熱対策をしているようには見えませんでした。夕方の暑さとまぶしさは想像を絶するでしょう。そもそもあの窓を開ける日は来るのだろうか、と思わずにはいられませんでした。

 南に窓を多くとって室内を明るくし、冬暖かく過ごすのは基本正解です。でも、性能を上げると従来の基本ルールがすべてには適応しなくなります。崖の上の家のように、温暖地の高性能住宅における過剰採光によるオーバーヒートはあまり知られていないのが現状です。

 

長持ちする家=メンテに耐える家

 長く使うものは、経年劣化をしっかり考えてつくるべきです。まったく経年劣化しないものをつくろう、ということではありません。適切なメンテナンスをほどこすことで原状復帰できるように、あるいはメンテナンスの頻度ができるだけ少なくて済むようにつくろう、ということです。

 たとえば私は、一般的な窯業系サイディングはほとんど使いません。柄が印刷されたものはとくに、要望があっても使いません。なぜかと言うと、適切なメンテナンスを適正な費用で行うことができないからです。再塗装すると意匠は原状復帰できません。「新品のテクスチャーを維持するには?」とメーカーにたずねると、当時は3年おきにトップコートをかけるように言われました。その後、5年おき、7年おきと間隔は延びたものの、それでも費用面でのハードルが高過ぎるため選択肢からはずしました。

 また、台所に無垢の床材を使った住宅をいくつもつくりましたが、どれだけ掃除をしても水と油も扱う場所ですからキレイを維持するのは難しい部位だと痛感します。ユーザーにどうしてもと言われると断り切れませんが、反省も含めてロングスパンで家づくりを考えるよう社員には伝えています。

 

無責任なものづくりに傾いていないか?

 私たちは、こと住宅に関しては思考の基本がスクラップアンドビルドになりがちです。実際、今の日本人のほとんどが親や先祖から住宅を受け継いだことがなく、戦後の世帯数は増える一方でした。増えた分はみんな新築です。住宅を何世代も住みつなぐ海外に範を求めようにも、文化と気象条件が異なるため、そのままお手本にはできません。我々が自分たちの土地に合った対策を練るしかないのです。

 多くの住宅で使われている新建材の在庫保管期限は、生産終了後10年です。つまり、その後は性能的なメンテナンスはできても、意匠の原状復帰はできないということです。国が要望する保証期間さえもてば良いということなのでしょうが、昔ながらのローテクな部材なら町の建具屋で修理できても、シート建材はいかに技術があっても取り替える部材がなければ手も足も出ません。

 本当にそれでいいのでしょうか。ユーザーはそこまで想像していません。「言われてないから責任を取らない」という態度なら、メーカーも工務店も無責任と言わざるを得ません。百年住宅と自称する家が、シート建材だらけというのはかなり矛盾があります。

 

工務店がやるべきメンテとは

 アメリカでは、ドアの規格はすべてのメーカーで統一されています。幅こそ2、3インチ刻みでバリエーションがありますが、高さや厚さ、バックセットは数種類と決まっていて、同じ規格ならどのドアを持ってきても合うようになっています。近くに大工がいなくても、100年後にリフォームをするにしても、モジュールが統一されていればどうにかできるだろう、というわけです。私は「アメリカがすごい」と言いたいわけではありません。つくり手がメンテナンスの方法をどう考えているか、その姿勢の違いは興味深いと思うのです。

 かつての日本は大工さんを呼べば部材そのものが流通していなくても、技術で修理・交換が可能でした。人と技術でメンテナンスをつないでいたのですね。モノから考える前者の方法論はメーカーの範疇だと思いますが、我々工務店はどちらかといえば、やはり後者の方法論で家守りとして永くメンテできる家をつくるべきだと思います。

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